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神戸地方裁判所 昭和62年(ワ)1581号 判決 1993年3月26日

主文

一  原告承継人らの請求をいずれも棄却する。

二  原告(反訴被告)承継人らは、被告(反訴原告)株式会社コミティに対し、別紙物件目録(一)記載の物件について別紙登記目録(六)記載の、別紙物件目録(二)記載の物件について別紙登記目録(七)記載の、別紙物件目録(三)記載の物件について別紙登記目録(八)及び(九)記載の、各根抵当権設定仮登記又は条件付賃借権設定仮登記に基づく本登記手続をせよ。

三  原告(反訴被告)承継人らは、被告(反訴原告)株式会社コミティに対し、それぞれ、金七〇一万四四三七円及びこれに対する昭和六二年一〇月二一日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用は、本訴及び反訴とも、原告(反訴被告)承継人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

〔本訴〕

一  請求の趣旨

1 被告兵庫県信用保証協会は、原告承継人らに対し、別紙物件目録(一)ないし(三)記載の物件について別紙登記目録(一)記載の登記の抹消登記手続をせよ。

2 被告株式会社第一勧業銀行は、原告承継人らに対し、別紙物件目録(一)ないし(三)記載の物件について別紙登記目録(二)記載の登記の抹消登記手続をせよ。

3 被告楠博行は、原告承継人らに対し、別紙物件目録(一)ないし(三)記載の物件について別紙登記目録(三)記載の登記の、別紙物件目録(三)記載の物件について別紙登記目録(四)記載の登記の、別紙物件目録(四)記載の物件について別紙登記目録(五)記載の登記の、各抹消登記手続をせよ。

4 被告株式会社コミティは、原告承継人らに対し、別紙物件目録(一)記載の物件について別紙登記目録(六)記載の登記の、別紙物件目録(二)記載の物件について別紙登記目録(七)記載の登記の、別紙物件目録(三)記載の物件について別紙登記目録(八)及び(九)記載の各登記の、各抹消登記手続をせよ。

5 訴訟費用は、被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁(全被告)

1 原告承継人らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告承継人らの負担とする。

〔被告(反訴原告)株式会社コミティの反訴〕

一  請求の趣旨

1 主文第二、第三項と同旨

2 訴訟費用は原告(反訴被告)承継人らの負担とする。

3 仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告(反訴原告)株式会社コミティの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は被告(反訴被告)株式会社コミティの負担とする。

第二  当事者の主張

〔本訴〕

一  請求原因

1 原告(反訴被告)阿部美代子(以下、単に「美代子」という。)は、別紙物件目録(一)ないし(四)記載の物件(以下「本件物件」といい、各物件を、それぞれ本件物件(一)等という。)を所有していた。

2 被告兵庫県信用保証協会(以下「被告協会」という。)のために、本件物件(一)ないし(三)について、別紙登記目録(一)記載の登記(以下「本件登記(一)」という。以下、同じ。)がされている。

3 被告株式会社第一勧業銀行(以下「被告銀行」という。)のために、本件物件(一)ないし(三)について、本件登記(二)がされている。

4 被告楠博行(以下「被告楠」という。)のために、本件物件(一)ないし(三)について本件登記(三)が、本件物件(三)について本件登記(四)が、本件物件(四)について本件登記(五)が、されている。

5 被告(反訴原告)株式会社コミティ(以下、本訴及び反訴を通じ、「被告コミティ」という。)のために、本件物件(一)記載の物件について本件登記(六)が、本件物件(二)について本件登記(七)が、本件物件(三)について本件登記(八)及び(九)が、されている。

6 美代子は、昭和六三年一〇月四日、死亡し、原告(反訴被告)承継人ら(以下、本訴及び反訴を通じ、「原告承継人ら」という。)が、その地位をそれぞれ(三分の一ずつ)承継した。

7 よって、原告承継人らは、所有権に基づき、本件物件について、被告らのためにされている各登記の各抹消登記手続をすることを求める。

二  請求原因に対する認否

(被告協会)

請求原因事実1及び2は認める。

(被告銀行)

請求原因1及び3は認める。

(被告楠)

請求原因1及び4は認める。

(被告コミティ)

請求原因1及び5は認める。

三  抗弁

(被告協会)

1 根抵当権設定契約

(一) 有限会社あざみ(以下「あざみ」という。)は、昭和六〇年一月一七日ころ、被告協会との間で、あざみが被告銀行から三五〇〇万円を借り受けるため、次の内容の信用保証委託契約を締結した。

(1) あざみが被告銀行に対する債務の履行を怠り、被告銀行から借り受けた金員を被告協会が代位弁済したときは、あざみは、被告協会に対し、その弁済額及び右弁済額に対する弁済した日の翌日から年一四・六パーセントの割合による損害金並びに避けることのできなかった費用その他の損害金を支払う。

(2) 信用保証料は年一パーセントの割合とし、但し、元金の遅滞があるときは、年三・六五パーセントの割合とする。

(二) 美代子及び阿部寛(以下「寛」という。)は、右同日ころ、被告協会に対し、あざみの被告協会に対する前項に基づく債務につき連帯保証する旨約した。

(三) 被告協会は、そのころ、前記信用保証委託契約に基づき、被告銀行に対し、(一)記載のあざみの被告銀行に対する債務につき、連帯保証する旨約した。

(四) 美代子は、昭和六〇年一月一一日ころ、被告協会との間で、美代子所有の本件物件(一)ないし(三)について、被告協会のために、被告協会のあざみに対する信用保証委託契約に基づく一切の債権を被担保債権とし、極度額を三五〇〇万円とする根抵当権設定契約を締結した。

(五) 右根抵当権設定契約締結における美代子の意思について、契約前の昭和五九年一二月二七日ころ、被告銀行の行員である梶並謙二が、美代子の自宅で直接面談する方法で確認し、また、被告協会では、昭和六〇年一月初めころ、再度意思確認をするための書面を美代子に送付し、その結果、同人の自署及び実印の押された書面が返送された。

(六) 本件登記(一)は、右根抵当権設定契約の履行としてされたものである。

(七)(仮に、美代子の被告協会に対する根抵当権設定契約の締結が寛の無権代理行為によるものであるとしても)

原告承継人らは、昭和六一年九月一日、無権代理人である寛を相続(但し、その後限定承認をしている。)し、その後、昭和六三年一〇月四日、本人である美代子を相続(代襲相続)したので、本人自ら法律行為をしたと同様の地位ないし効力を生じると解すべきである。

(被告銀行)

2 根抵当権設定契約

(一) 美代子は、昭和六一年二月一八日、被告銀行との間で、美代子所有の本件物件(一)ないし(三)について、被告銀行のために、被担保債権の範囲を銀行取引、手形債権、小切手債権とし、極度額を二〇〇〇万円とする根抵当権設定契約を締結した。

(二) 本件登記(二)は、右根抵当権設定契約の履行としてされたものである。

(三) 被告銀行は、美代子に対し、右根抵当権設定契約と同時に、一〇〇〇万円を次の約定で貸し付けた。

(1) 弁済方法 昭和六一年四月一八日を第一回とし、以後毎月一八日に一〇万円宛て分割弁済し、昭和六四年二月一八日に残額六六〇万円を弁済する。

(2) 利息及びその支払方法 年七・二パーセントとする。借入日にその日から昭和六一年四月一八日までの利息を支払い、以後毎月一八日に一か月分を前払いする。

(四) さら、被告銀行は、美代子に対し、昭和六一年二月二八日、一〇〇〇万円を次の約定で貸し付けた。

(1) 弁済方法 昭和六一年四月一八日を第一回とし、以後毎月一八日に一〇万円宛て分割弁済し、昭和六四年二月一八日に残額六六〇万円を弁済する。

(2) 利息及びその支払方法 年七・二パーセントとする。借入日にその日から昭和六一年四月一八日までの利息を支払い、以後毎月一八日に一か月分を前払いする。

(五) 美代子は、被告銀行に対し、右約定に従い、右貸金のうち、昭和六一年一二月支払分までの支払をしたが、その後の支払をしない。

(六)(仮に美代子が本件の根抵当権設定に際し意思能力を有していなかったとしても)

(1) 右根抵当権設定契約締結に先立って、美代子は、昭和五九年七月一七日、被告銀行との間で、本件物件(一)ないし(三)について、極度額を四一五〇万円とする根抵当権設定契約を締結する権限を寛に与えた。

本件の昭和六一年二月一八日の根抵当権設定契約は、実質的に、昭和五九年七月一七日の根抵当権設定契約の根抵当権の極度額の減額変更契約であり、美代子から寛に対する前記授権に基づき、寛が美代子の代理人として契約を締結したものである。

(2) また、美代子は、少なくとも、昭和五九年七月一七日の根抵当権設定契約を締結する権限を寛に与えた旨を被告銀行の行員相園秀之に表示したのであって、本件の昭和六一年二月一八日の根抵当権設定契約締結に際し、相園は、寛に代理権があると信じたものである。

(3) 本件の根抵当権設定契約は、実質的には、昭和五九年七月一七日の根抵当権設定契約の根抵当権の極度額の減額変更、根抵当権の一部放棄に過ぎないのであるから、その関係書類が被告銀行と美代子の無権代理人である寛との間で作成されたとしても、昭和五九年七月一七日の根抵当権設定契約が有効である以上、本件の根抵当権設定契約の効力は否定されない。

(七) 代理人と本人の地位の合一及び信義則ないし権利の濫用

(1) 仮に寛の契約締結行為が無権代理行為であったとしても、原告承継人らは、寛の地位を包括的に相続した以上、原告承継人らには、本人の資格で無権代理行為の追認を拒絶することはできず、本件の各契約について、代理人と本人の地位が合一したとして、本人が自ら法律行為をしたと同様の地位ないし効果を生じると解すべきである。

原告承継人らは、同人らが寛の相続に関して限定承認の申述をした旨主張しているが、限定承認の事実は、右の解釈に何ら影響を及ぼさない。すなわち、原告承継人らが美代子の相続人として本件物件の所有権を取得したのは、美代子の唯一の相続人であった寛が美代子に先立って死亡し、原告承継人らが寛の直系卑属であったため、代襲相続が成立したからに過ぎない。換言すれば、原告承継人らは、寛と同じ地位において、美代子を相続しているのである。

したがって、寛の相続における原告承継人らの限定承認は、寛の相続において責任限定の効果を生じるとしても、美代子の相続において、美代子と寛との間の法律関係に影響を与えるものではないから、原告承継人らが寛の相続において限定承認をしたからといって、寛と同じ地位において、美代子を相続したことに何ら変わりがない。

以上のとおり、原告承継人らは、無権代理行為をした寛と同じ地位において、美代子を相続したのであり、結局、無権代理行為と本人の地位が合一することになるから、本人の資格で無権代理行為の追認を拒絶することはできない。

(2) 本件の各契約締結当時、寛は、美代子の事実上の後見人として行動し、その財産の管理に当たっており、これについては原告承継人ら及び美代子の親族を含め、誰からも何らの異議も出なかった。

仮に、美代子に意思能力が存在していなかったとすれば、原告承継人らは、直ちに禁治産宣告の申立てをし、後見人を選任すべきであったと考えられるが、その場合、美代子の家族の状況、生活状態等、当時の状況から判断して唯一の法定相続人である寛以外の者が後見人として選任されることはないと考えられる。

以上によれば、寛が生存中に、美代子に意思能力が存在していなかったとして禁治産宣告の申立てをした場合、寛が美代子の後見人に就職することになるが、そのときには信義則上、寛は無権代理行為の追認を拒絶することはできないと解される。

本件では、美代子の禁治産宣告の申立てが遅れたため、当時既に寛が死亡していたという偶然の事情により、後見人に阿部和子が選任されているが、禁治産宣告の申立ての遅れという本人側の事情による危険を取引相手方である被告らに負わせるのは妥当でないこと、禁治産宣告の結果選任された阿部和子も独自の地位を有するものではなく、寛の妻でしかないこと、本件の根抵当権設定について契約当時原告承継人らおよび阿部和子の誰からも何らの異議も出なかったことなどを考慮すると原告承継人らが契約の追認を拒絶するのは信義則に反するか又は権利の濫用である。

(3) 原告承継人らは、元々本件物件を所有してきたのでもなければ、寛とは無関係に美代子を相続してこれを取得したのでもなく、ただ、寛が美代子より先に死亡した結果、本件物件を取得したに過ぎない。代襲相続の制度が、一般に、子供が親より先に死亡した場合の孫の衡平を考慮した制度である以上、逆に、親の死亡により子供が相続するときよりも大なる権利を孫が代襲相続により取得するのは衡平に反する。

そして、原告承継人らにおいて、被代襲者である寛が主張できない追認拒絶権を行使するのは、明らかに衡平に反し、信義則に反するないしは権利濫用として認められないといわなければならない。

(被告楠)

3 抵当権設定契約等

(一) 被告楠は、昭和六〇年一一月二九日、美代子の長男寛に対し、次の約定で七〇〇万円を貸し付けた。

(1) 弁済期 昭和六一年五月三一日

(2) 利息 年一割五分

(3) 損害金 年三割

(二) 美代子の代理人である寛は、昭和六〇年一一月二九日、被告楠との間で、美代子所有の本件物件(四)について、被告楠のために、同被告の寛に対する右債権を担保するための抵当権設定契約を締結した。

(三) 本件登記(五)は、右根抵当権設定契約の履行としてされたものである。

(四) 被告楠は、昭和六一年三月二〇日、美代子の長男寛に対し、次の約定で二〇〇〇万円を貸し付けた。

(1) 弁済期 昭和六一年一二月三一日

(2) 利息 年一割五分

(3) 損害金 年三割

(五) 美代子の代理人である寛は、昭和六一年三月二〇日、被告楠との間で、被告楠のために、被告楠の寛に対する右債権を担保するため、美代子所有の本件物件(一)ないし(三)について抵当権設定契約及び本件物件(三)について条件付賃借権設定契約を締結した。

(六) 本件登記(三)は、右抵当権設定契約の、本件登記(四)は右条件付賃借権設定契約の、それぞれ履行としてされたものである。

(七) 寛は、被告楠に対し、右各債務を全く弁済しないまま死亡した。被告楠は、昭和六二年九月一七日、「破産者被相続人阿部寛の相続財産」に対する破産事件(神戸地方裁判所昭和六一年(フ)第一六六号)において、配当金として、右(一)の債権元本に対する分として四五万九六一〇円、右(四)に対する分として一三一万三一七五円の支払を受けた。

(八)(1) 美代子は、寛に対し、各抵当権設定契約締結以前に、本件物件(一)ないし(四)を含む美代子所有の不動産の処分、管理及び保存につき、明示又は黙示に包括的な代理権を授与した。

(2) 美代子は、寛に対し、各抵当権設定契約締結に際し、本件物件(一)ないし(四)について、抵当権設定契約締結及び本件各登記をすることの代理権を与えた。

(3) (仮に寛が右代理権を与えられていなかったとしても)寛は、被告楠に対し、信義誠実の原則からして、右各抵当権設定契約及び右各登記の無効を主張することは許されなかったから、寛の相続人として、その地位を承継した原告承継人らも、本件の各登記の無効を主張することはできない。

(被告コミティ)

4 根抵当権設定契約等

(一) 被告コミティは、あざみに対し、メリヤス商品を売り渡していた。

(二) 美代子は、昭和六一年四月一九日、被告コミティとの間で、同被告に対し、あざみの同被告に対する債務を連帯保証するとともに、同被告のために、右債務を担保するため、美代子所有の本件物件(一)ないし(三)について根抵当権設定契約及び本件物件(三)について条件付賃借権設定契約を締結した。

(三) 本件登記(六)ないし(八)は右根抵当権設定契約の、本件登記(九)は右条件付賃借権設定契約の、それぞれ履行としてされたものである。

(四) (仮に、美代子と被告コミティとの間の前記各契約が、美代子との間で直接締結されたものでないとしても)

(1) 美代子は、右各契約締結に際し、寛に対し、契約締結の代理権を与え、被告コミティは、寛と右各契約を締結した。

(2) (美代子が寛に対し、右各契約締結の代理権を与えていなかったとしても)美代子は、寛に対し、預金等財産の管理を寛に任せていたから、被告コミティが寛に右各契約締結の代理権があると信じるにつき正当な理由があり、民法一一〇条又は同条及び同法一一二条の表見代理が成立する。

(3) 寛が美代子の相続人となっていた場合、寛は、相続により本件物件(一)ないし(三)の所有権を取得するから、右各契約の締結が無権代理によるものであったとしても追認の効力が生じる。原告らは、いずれも寛の子として、美代子の相続人となったのであるから、寛の包括承継人として、寛が相続していた場合の法律効果、すなわち、無権代理の追認の効果も承継する。

したがって、寛の包括承継人である原告承継人らは、本件訴訟において、寛が被告コミティに対して主張することができなかった無権代理の主張をすることは、権利濫用として許されない。

四  抗弁に対する認否

1 抗弁1の(一)は知らない。同(二)のうち、美代子が連帯保証したことは否認し、その他の事実は知らない。同(三)は知らない。同(四)ないし(六)は否認する。同(七)は否認もしくは争う。

2 同2の(一)ないし(五)は否認する。同(六)は否認もしくは争う。同(七)は否認もしくは争う。

3 同3の(一)は知らない。同(二)及び(三)は否認する。同(四)は知らない。同(五)及び(六)は否認する。同(七)は知らない。同(八)は否認もしくは争う。

4 同4の(一)は認める。同(二)及び(三)は否認する。同(四)は否認もしくは争う。

五  原告承継人らの主張

1(一) 神戸家庭裁判所は、美代子に対する同裁判所昭和六一年(家)第三二四二号禁治産宣告申立事件についての昭和六二年五月二一日にした審判において、原告について、「現在アルツハイマー病で、高度の痴呆状態にあり、今後も改善の見込みがなく、心神喪失の常況にあること」を認めて、同審判は、昭和六二年六月九日確定した。なお、後見人には、美代子の長男寛の妻である阿部和子が選任された。

(二) 右禁治産宣告に先立ち、美代子は、遅くとも、昭和五八年八月ころには、事理弁別能力を失い、意思無能力の状態に陥っていた。

2(一)(1) 寛は、昭和六一年九月一日死亡した。

(2) 寛の相続人である妻阿部和子及び子である原告承継人らは、昭和六一年一一月四日、神戸家庭裁判所において、寛の相続につき限定承認する旨の申述をした。

(3) 美代子は、昭和六三年一〇月四日、死亡し、原告承継人らが同人の遺産を相続した。

(二) このように、無権代理人である寛を相続した阿部和子及び原告承継人らが限定承認し、次いで寛の相続人のうち原告承継人らが、本人である美代子を相続したということになる。

まず、無権代理人の相続につき限定承認した相続人は、無権代理人が無権代理行為の相手方に対して負担している債務(本件では、根抵当権設定契約及び同登記を有効とすべき義務)について、相続財産を限度とする責任を負うにとどまり、自己の財産及びその後に本人を相続したことにより取得した財産(本件物件(一)ないし(四)はこれに該当する。)をもって、無権代理人の債務を履行すべき責任はない。

また、民法九二五条は、「相続人が限定承認をしたときは、その被相続人に対して有した権利義務は、消滅しなかったものとみなす。」と規定しているが、これは、限定承認した場合にも混同による消滅を認めると、相続債務の責任の範囲を相続財産に限定しようとする限定承認制度の趣旨に反する結果となるからである。そして、右規定の趣旨は、無権代理人を相続した者が限定承認した場合に類推適用され、本人が自ら法律行為をしたと同様の法律上の地位ないし効果を生じることはなく、相続人は本人の資格で無権代理行為の追認を拒絶することができる。

したがって、原告承継人らは、寛の無権代理行為について、追認を拒絶することができる。

(三) 美代子は、無権代理行為の相手方である被告らに対して本件訴訟を提起したことにより、無権代理行為につき追認を拒絶するとの意思を明らかにしたのであり、これにより無権代理行為は本人に対して何らの効力が生じないことが確定したから、これ以後は、もはや追認権を問題にすることはできなくなったというべきである。

六  原告ら承継人の主張に対する認否(全被告)

1 原告ら承継人の主張1の(一)は認めるが、(二)は否認する。

2 同2の(一)の(1)及び(3)は認めるが、(2)は知らない。同(二)は否認する。同(三)は争う。

〔反訴〕

一  反訴請求原因

1(一) 本訴請求原因の1、5及び6と同じ。

(二) 本訴抗弁の4の(一)ないし(四)と同じ。

2 あざみは、昭和六一年一一月一一日、神戸地方裁判所において、破産宣告を受け、被告コミティのあざみに対する別紙債権目録記載の債権が確定した。その後、右破産事件において、被告コミティは、昭和六二年九月一七日、計一二一三万〇一七四円の配当を受けた。

3 よって、被告コミティは、美代子の承継人である原告承継人らに対し、前記仮登記について本登記手続をすることを求めるとともに、連帯保証債務履行請求権に基づき、あざみに対する未払債権二一〇四万三三一三円についての原告承継人ら各自の相続分七〇一万四四三七円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である昭和六二年一〇月二一日から完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  反訴請求原因に対する認否

1 反訴請求原因1の(一)(本訴請求原因の1、5及び6)の事実は認める。

2 反訴請求原因1の(二)のうち、本訴抗弁4の(一)記載の事実は認める。同4の(二)なし(四)記載の事実は否認もしくは争う。

第三  証拠(省略)

理由

第一  被告協会に対する請求について

一  請求原因事実は、当事者間に争いがない。

二  被告協会の抗弁1について

1  証人梶並謙二の証言により真正に成立したと認められる乙第一、第二号証、第四号証(第一及び第二号証は美代子作成部分を除く。)、証人梶並謙二の証言によれば、抗弁1の(一)、(二)のうち寛が被告協会に対し、あざみの被告協会に対する債務につき連帯保証したこと及び(三)の事実を認めることができる。

2  乙第一号証(昭和六〇年一月一一日付け根抵当権設定契約書)、第二号証(昭和六〇年一月二一日付け信用保証委託契約書)には、美代子の署名とその名下に同人の印章により顕出された印影があることが認められる。

被告協会は、右契約締結における美代子の意思の確認について、契約前の昭和五九年一二月二七日ころ、被告銀行の行員である梶並謙二が、美代子の自宅で直接面談する方法で確認し、また、被告協会において、昭和六〇年一月初めころ、再度意思確認をするための書面を美代子に送付し、その結果、同人の自署及び実印の押された書面が返送された旨主張し、証人梶並謙二の証言中には、右主張に副う部分が存する。

これに対し、原告承継人らは、美代子は、遅くとも、昭和五八年八月ころには、事理弁別能力を失い、意思無能力の状態に陥っていた旨主張する。

3  そこで、美代子の意思能力について、検討すると、まず、客観的な事実として、次の各事実が認められる。

(一) 美代子は、大正九年五月一一日生まれであり、先夫との間に寛(昭和一八年六月二〇日生れ)をもうけていたが、先夫が昭和二〇年に戦死した後、昭和二五年に阿部長雄(明治四〇年四月五日生れ)と再婚した。寛は、昭和三〇年に、長雄との間で養子縁組をした。(甲二、弁論の全趣旨)

(二) 美代子は、布綿の製造販売を目的とする有限会社あざみを経営していたところ、昭和五一年に一線を退き、それからは、実質的に寛があざみの経営者となった。(甲八の三ないし七項)

美代子は、昭和五一年ころから、夫の長雄が始めた焼き鳥屋「あざみ」の手伝いをするようになった。(甲八の一〇ないし一三項)

(三) 長雄は、昭和五八年一一月一八日、死亡した。(甲二)

(四) 美代子は、昭和五八年八月一三日、神戸市の千島病院(精神科、神経内科)の千島チエ子医師の診察を受け、脳循環障害(健忘症候群)と診断され、その後、昭和五九年六月一日には、パーキンソン病と診断された。パーキンソン病とは、脳の栄養障害のため、脳の萎縮、脳の血液障害が起こり、その結果、運動障害等が起こるという病気である。(甲九、一一)

(五) 寛が経営していたあざみの経営状態が次第に悪化し、そのため、寛は、昭和六一年九月一日、自殺した。

4  美代子の意思能力について、次の各証言等が存する。

(一) 証人千島チエ子(昭和二五年以降、美代子と親交があり、昭和五八年八月に脳循環障害の診断をした医師)の証言等

(1) 千島医師が作成した昭和五五年一〇月一〇日のカルテには、物忘れがひどいとの記載があった。(平成二・六・二一証言九頁、甲一三の三)

その後、昭和五八年一月三一日には、物忘れが大分ひどくなり、脳動脈硬化症と診断した。同医師は、痴呆に効くホパテという薬を投与し、かつ、脳の循環を良くするニコリンを注射した。(平成二・六・二一証言八頁、一〇頁、二三頁ないし二五頁、甲一四の一)

また、同年四月四日には、同様に、脳の動脈硬化症による物忘れと診断した。これは、息子(寛)等の話に基づくもので、美代子は、日常生活でものを買いに行ってもお金を忘れたり、渡すのを忘れたり、何を買うのか忘れたりすることが度々あった。その原因は、脳に萎縮という器質的な変化が出てきたことによるものである。(平成二・六・二一証言八頁、九頁、甲一四の一)

(2) 昭和五八年八月一三日には、脳循環障害(健忘症候群)と診断した。前よりもひどくなっており、物忘れもプラス三つであるから、最もひどくなっている状況が出ている。脳の血液がうまく循環しないので、よけいに萎縮が早く起きてくるような状態になっていたと思う。健忘症候群とは、日常生活で非常に物忘れがひどくて、外へ出て行っても帰ってこれないとか、散歩に行って道が分からなくなったとか、そういうのがひどくなったものである。本当は、もう少し痴呆状態に近かったかも分からない。老人性痴呆症に近い状態であるが、健康保険の本人であるので、本人の体裁等を考慮して、老人性痴呆症という病名を使わなかった。(平成二・六・二一証言一〇頁ないし一三頁、甲一四の一、一五の一)

(3) 昭和五八年四月四日に診断をしたときには、既に、美代子には、自分自身の財産を管理したり、売買したり、担保を設定したり、金を借りたりする能力がなかったと思う。同年八月一三日に診断したときにも、もちろんなかったと思う。(平成二・六・二一証言一六頁)

(4) 昭和五八年一一月に夫の長雄が死亡したときに、通夜の席で、美代子と話をしたが、美代子には、夫が死亡したという意識がなかった。美代子は、涙も出さないし、ぼーっとしていた。美代子の娘らからは、美代子を葬式に出さないと聞いた。(平成二・六・二一証言一八頁ないし二一頁)

(5) 長嶋美年子は、美代子が昭和五九年初めころ、夫の遺骨を骨壺から出して食べていた旨証言しているが、美代子の病気は何をするか分からないし、既にそのときは、痴呆状態であったとみられる。(平成二・六・二一証言二一頁ないし二三頁)

(6) 昭和五九年五月に入院を勧めたが、入院はしなかった。(平成二・六・二一証言二五頁)

(7) カルテの記載によれば、昭和五八年四月には、日常生活がスローである、同年八月には、服装に無頓着である、との記載がある。美代子は、それまでは、割に機敏であり、かつ服装にも気を使っていた人であった。(平成二・六・二一証言二七頁ないし二九頁、甲一四の二、三)

(8) 昭和五九年一月、千島医師の問いかけに対し、財産のことは詳しく話すが、夫が死亡したことを忘れることがあった。また、同年二月二四日には、付添いの人の話として、朝、お父さんのところへ行くと出かけようとしたことがあった。同月二七日には、千島医師に対し、意味不明のことを話した。(平成二・六・二一証言三〇頁ないし三二頁、甲一四の三、四)

(9) 昭和五九年六月には、美代子は、パーキンソン病と診断されたが、その前から、その傾向が著しかった。同月二六日に、千島医師が住所氏名を書かせたが、書けなかった。(平成二・六・二一証言三五頁、三八頁、甲一五の一、二)

(10) 昭和六〇年に入ってからも、美代子の会話は、意味不明のことが多く、物忘れも以前としてひどかった。同年の四月二四日には、妹のところへ黙って行ってしまって、みんなが探し歩いたことがあった。それ以降も、昭和六一年夏ころまでの間、美代子は、一人で外出するが、全く方向違いの所へ行ったり、途中で歩行困難となり、目的の場所に行くことができなかったりということが、度々あった。(平成二・六・二一証言三九頁、四〇頁、四五ないし六五頁、甲一五の四、五、一二の一)

(11) 昭和六〇年一〇月三〇日には、川北病院でCTによる検査の結果、脳萎縮著明という診断をもらった。(平成二・六・二一証言四四頁、四五頁、甲一二の一)

(12) 昭和六一年一月二五日、美代子は、千島医師に対し、虫がいる、虫がいると訴えたことがあった。同医師によれば、これは幻覚であり、薬によるものかは分からないとのことである。同様の訴えは、同年二月一〇日にもあった。

(平成二・六・二一証言五一頁、五二頁、甲一二の一)

(13) 同年三月一一日には、千島医師が美代子に字を書かせたところ、同人の名前である「阿部」の「阿」の字が震えた形となっているうえ、「部」の字が全く書けなかった。(平成二・六・二一証言五四頁、五五頁、甲一二の一)

また、同年五月下旬には、同医師の質問に対し、名前はようやく書けたが、住所は答えることもできないという状態であった。(平成二・六・二一証言五八頁、五九頁、甲一二の一)

(14) 千島医師の診療録には、昭和六一年四月七日の欄には「軽度の痴呆化」と、同年六月一八日の欄には「精神障害」との記載が、それぞれある。(甲一二の一の一三枚目及び一四枚目)

(二) 証人長嶋美年子(昭和四二年にあざみに入社し、昭和六一年九月に寛が死亡して同社が倒産するまで、勤務していた者)の証言等

(1) 長雄が死亡する昭和五八年一一月の前後ころ、美代子は、正月に出社した従業員に、誰彼となく、小遣いを渡し、同じ人に何回も渡したことがあった。また、買物に出かけて、同じ物を何回も買ってきたこともあった。(平成三年九月五日証言一一ないし一三頁、甲六)

(2) 長雄が死亡したときの葬式に美代子は出席しなかった。それは、寛が、出さなかったのだと思う。また、その後においても、美代子は、夫が死亡したことを理解していなかったと思う。息子である寛を、夫と間違えていたこともあった。(平成三年一〇月二九日証言二七ないし二九頁、平成三年九月五日証言一六ないし二〇頁)

(3) 昭和五九年一月ころ、美代子の所に住込みで働いていたお手伝いの人から、美代子が夜中に長雄の骨壺を開けて骨をかじっていたと聞いたことがあった。また、寛が死亡した後にも、寛の骨壼の骨もかじったと当時手伝いに来ていた長山フミから聞いた。(平成三年九月五日証言四ないし七頁)

(三) 証人阿部和子(昭和三〇年代後半から顔なじみであり、昭和五九年一二月二〇日に寛と婚姻した者)の証言

(1) 美代子は、勝気で仕事をバリバリする女実業家として、以前から近所では有名であったが、昭和五九年八月に、寛と美代子と久振りに出会ったときに、美代子は、和子に対してまともな応対ができなかったし、通常の会話が成り立たなかった。寛は最初に、「ボケてしもて、もうお母ちゃん、こないなってもうた」と言った。(平成二年一〇月三〇日証言四丁ないし九丁)

(2) 昭和五九年一二月に寛と婚姻届けを提出し、昭和六〇年三月二〇日から寛と同居(美代子とも同居)することとなったが、美代子は、寛と和子が結婚したことを理解していなかったと思う。(平成二年一〇月三〇日証言一〇丁、一一丁)

(3) 和子が同居するようになってから、一〇回ほど、一人で外出、徘徊した。(平成二年一〇月三〇日証言一七丁)

(4) 日常生活において、毎日のように鰻弁当を買ってくることから、寛から叱られ、そのために鰻弁当を方々に隠してしまい、古くなった弁当が見つかることが度々あった。(平成二年一〇月三〇日証言一五丁、一六丁)

また、自分で化粧をするが、白粉をはたいて真っ白になり、口紅もはみ出して頬を真っ赤に塗ってしまうことがあった。玄関の全身が写る鏡に向かって、自分が写った姿に対し、「あんた帰れ、あんた帰れ」と言って、足で鏡を蹴ったことがあり、「お母さん自分でしょう」と言うが美代子は分からなかった。(平成二年一〇月三〇日証言一八丁)

(5) 美代子は、元来、株が好きで、よく「私は株でもうけた。」と話していたが、寛から、株券だといって渡された中身のない封筒を束ねたものを大事に持っていた。(平成二年一〇月三〇日証言一六丁)

(6) 昭和六一年九月一日に、寛が自殺し、通夜までそこに寝かせて線香をあげていたところ、「お母さん、寛さんねえ、交通事故で死んだんだよ。」と言ったら、「あれ誰」と言い、「ああ、かわいそうねえ。」「寛、いつ帰ってくるの。」と言った。(平成二年一〇月三〇日証言一九丁)

(四) 証人長山フミ(昭和五九年一一月から美代子が入院する昭和六一年一一月一八日までの間、美代子の世話をした者)の証言

(1) 昭和五九年一一月一日に美代子に初めて会ったとき、同人は、何もものを言わず、ただ見ているだけであった。寛は、「お母ちゃんがちょっと病気なので頼むわ。」と言ったが、美代子の様子から、病気といっても頭の病気と思った。家事を手伝いに行ったのではなく、美代子が変なことをしないように見張っている役目であった。(平成三年六月六日証言一頁ないし六頁)

(2) 美代子は、大便の処理が自分でできなかった。便所や手洗いのあちこちに大便を付けることがしばしばあったが、本人自身は、汚いと思っている様子はなかった。(平成三年六月六日証言一七頁ないし一九頁)

(3) 外出した際に鰻丼を買ってきては隠すということが何度もあったし、パン屋で食べられないほどのパンを買ってくることがあった。パンを買うときは、店の人が美代子の持っている小銭入れから金をとっていた。(平成三年六月六日証言二二頁ないし二七頁)

(4) 寛が自殺し、遺体が警察から帰ってきたとき、美代子は、寛が死亡したことも分かっていなかった。美代子は、「おばさん、寝てるんだったら、起こしたらいいやんか。」と怒っていた。葬式のときも、「おばさん、寛、まだ筑波から帰らへんのか。」と言っていた。(平成三年六月六日証言三〇頁ないし三五頁)

(5) 美代子が、寛の骨壺を開けてひっくり返していたことが二回あり、二回目は、骨を食べようとしていた。(平成三年六月六日証言三五頁ないし三七頁)

(6) 世話をしていた間に、美代子が行方不明になることが三、四回あった。(平成三年六月六日証言三九頁ないし四六頁)

5  以上の証言等によれば、美代子は、昭和五八年八月の時点において、「脳循環障害」と診断されたこと、長雄が昭和五八年一一月一八日に死亡したとき及びそれ以降において、美代子は、夫である長雄が死亡したことを理解することができなかったこと、美代子は、昭和五九年一月ころ、夜中に長雄の骨壺を開けて骨をかじったことがあったこと、その状態は、その後も特に改善されたという事情はないこと、昭和五九年六月には、「パーキンソン病」との診断がされたこと、昭和六〇年一〇月には、「脳萎縮」との診断がされたこと、が認められる。そして、夫の骨壺を開けて骨をかじるという美代子の行動は、単に夫が死亡した際の衝撃から、右のような行動に出たというには、その内容があまりにも常識を超えたものといわなければならないし、また、その他の行動も一般人からは理解しがたい内容のものが多く、それらが、正常な意思能力に基づくものということはできない。

したがって、美代子は、少なくとも、昭和五八年一一月一八日の時点において、脳循環障害のために、財産の処分等に関する意思能力を喪失し、その後、とくに病状が回復したとは認められないから、美代子が被告協会と根抵当権設定契約を締結したとされる昭和六〇年一月の時点では、同様に意思能力を欠いていたといわなければならない。

6  したがって、前記証人梶並謙二の証言中、被告協会の主張に副う部分は直ちに採用することができず、他に被告協会の主張を認めるに足りる証拠はない。

なお、被告協会の抗弁中、信義則違反の主張については、後述する。

三  被告銀行の抗弁2について

1  丙第九号証(昭和六一年二月一八日付け根抵当権設定契約書)、第一〇号証(同日付け金銭消費貸借契約書)、第一一号証(昭和六一年二月二八日付け金銭消費貸借契約書)には、美代子の署名とその名下に同人の印章により顕出された印影があることが認められる。

被告銀行は、右契約締結時において、美代子は、意思能力を有していた旨主張し、証人相園秀之の証言中には、右主張に副う部分が存する。

これに対し、原告承継人らは、美代子は、遅くとも、昭和五八年八月ころには、事理弁別能力を失い、意思無能力の状態に陥っていた旨主張する。

2  前記二に述べたとおり、美代子は、少なくとも昭和五八年一一月ころにおいて、意思能力を喪失していたと推認されるから、美代子が被告銀行と根抵当権設定契約を締結したとされる昭和六一年二月の時点では、同様に意思能力を欠いていたといわなければならない。

3  したがって、前記証人相園秀之の証言中、被告銀行の主張に副う部分は直ちに採用することができず、他に被告銀行の右主張を認めるに足りる証拠はない。

4  被告銀行は、美代子は、右根抵当権設定契約に先立って、昭和五九年七月一七日、被告銀行との間で、本件物件(一)ないし(三)について、根抵当権設定契約を締結した旨主張し、これに基づき、種々主張する。

しかし、右の時点において、既に、美代子が、意思能力を喪失していたことは、前記認定のとおりであり、被告銀行の主張は、その前提を欠くから、その主張は採用することができない。

なお、被告銀行の抗弁中、信義則違反の主張については、後述する。

四  被告楠の抗弁3について

1  丁第一号証(昭和六〇年一一月二九日付け抵当権設定金銭借用証書)、第二号証の一(昭和六一年三月二〇日付け抵当権設定金銭借用証書)及び第二号証の二(同日付け停止条件付賃借権設定契約証書)並びに被告楠博行本人尋問の結果によれば、抗弁3の(一)、(二)のうち、寛が、昭和六〇年一一月二九日、被告楠との間で、美代子所有の本件物件(四)について、被告楠のために、被告楠の寛に対する右債権を担保するための抵当権設定契約を締結したこと、(四)、(五)のうち、寛が、昭和六一年三月二〇日、被告楠との間で、美代子所有の本件物件(一)ないし(三)について、被告楠のために、被告楠の寛に対する右債権を担保するための抵当権設定契約及び本件物件(三)について条件付賃借権設定契約を締結したこと、右各契約の書面は、寛が美代子の署名を代行する方式で、作成されたこと、が認められる。

被告楠は、右代理権授与時において、美代子は、意思能力を有していた旨主張し、被告楠本人尋問の結果中には、菅司法書士事務所から美代子に電話して、契約締結に関する代理権授与の意思を確認したとして、右主張に副う部分が存する。

これに対し、原告承継人らは、美代子は、遅くとも、昭和五八年八月ころには、事理弁別能力を失い、意思無能力の状態に陥っていた旨主張する。

2  前記二に述べたとおり、美代子は、少なくとも昭和五八年一一月ころにおいて、意思能力を喪失していたと推認されるから、寛が美代子の代理人として被告楠と抵当権設定契約を締結したとされる昭和六〇年一一月及び昭和六一年三月の時点では、同様に意思能力を欠いていたといわなければならない。

3  したがって、前記被告楠本人尋問の結果中、被告楠の主張に副う部分は直ちに採用することができず、他に被告楠の右主張を認めるに足りる証拠はない。

また、被告楠は、右各契約締結前に、美代子は、寛に対し、包括的な代理権を与えていた旨主張する。

しかし、少なくとも、昭和五八年一一月以降においては、美代子の意思能力には問題があるから、包括的な代理権を与えていたと認めることはできないし、それ以前においては、美代子が寛に対し、包括的な代理権を与えていたことを認めるに足りる証拠はない。

4  なお、被告楠の抗弁中、信義則違反の主張については、後述する。

五  被告コミティの抗弁4について

1  抗弁4の(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  戊第一号証(昭和六一年四月一九日付け根抵当権設定契約証書)には、美代子の署名とその名下に同人の印章により顕出された印影があることが認められる。

被告コミティは、右契約締結時において、美代子は、意思能力を有していた旨主張し、被告コミティ代表者尋問の結果中には、右主張に副う部分が存する。

これに対し、原告承継人らは、美代子は、遅くとも、昭和五八年八月ころには、事理弁別能力を失い、意思無能力の状態に陥っていた旨主張する。

3  前記二に述べたとおり、美代子は、少なくとも昭和五八年一一月ころにおいて、意思能力を喪失していたと推認されるから、美代子が被告コミティと根抵当権設定契約を締結したとされる昭和六一年四月の時点では、同様に意思能力を欠いていたといわなければならない。

4  したがって、前記被告コミティ代表者尋問の結果中、被告コミティの主張に副う部分は直ちに採用することができず、他に被告コミティの右主張を認めるに足りる証拠はない。

5  被告コミティは、仮に、右各契約が美代子との間で直接締結されたものでないとしても、(1)美代子は、寛に対し、契約締結の代理権を与えていた、(2)美代子は、寛に対し、財産の管理等を任せていたから、民法一一〇条又は同条及び一一二条の表見代理が成立する、旨主張する。

しかし、右の時点において、既に、美代子が、意思能力を喪失していたことは、前記認定のとおりであり、被告コミティの主張は、その前提を欠くから、その主張は採用することができない。

6  なお、被告コミティの抗弁中、権利濫用又は信義則違反の主張については、後述する。

六  信義則違反の主張について

1  以上に述べたところによれば、美代子は、各被告らとの間における各契約の締結に際し、意思能力を有していなかったのであるから、寛に対する代理権の授与についても意思能力を有していなかったといわなければならない。そうすると、寛が美代子の代理人としてした行為は、全て無権代理人としてした行為となるといわなければならない。

2  ところで、前記二において認定したとおり、寛は昭和六一年九月一日死亡し、原告承継人ら及び寛の妻阿部和子がその相続人となったことが認められ、また、本件訴訟の途中において、当初、原告であった美代子が昭和六三年一〇月四日死亡し、寛の子である原告承継人らが代襲相続により美代子の相続人となったことは、当裁判所に顕著である。

3  そうすると、原告承継人らは、本件の各契約において、まず無権代理人である寛を相続し、その後さらに、本人である美代子を相続したということになる。このような場合、寛の相続人である原告承継人らは、無権代理人である寛の法律上の地位を包括的に承継したのであるから、その後本人を相続した場合において、信義則に照らし、本人の資格で無権代理行為の追認を拒絶することはできず、本人が自ら法律行為である契約締結行為をしたと同様の法律上の地位ないし効果を生じるものと解するのが相当である。

4  ところで、本件において、寛の相続について、寛の相続人である妻阿部和子及び原告承継人らが、昭和六一年一一月四日に限定承認の申述をしていることは、甲第六号証により認めることができる。

原告承継人らは、同人らが寛の相続において限定承認をしていることをもって、寛の無権代理行為につき追認を拒絶することができる旨主張する。

5  しかし、原告承継人らが美代子の相続人として本件物件の所有権を取得したのは、美代子の子であり、同人の唯一の相続人であった寛がたまたま美代子に先立って死亡し、原告承継人らが寛の直系卑属であったため、代襲相続が成立したことによるものであり、原告承継人らは、寛と同一の地位において、美代子を相続したものである。確かに、寛の相続において、原告承継人らは限定承認をしており、限定承認した相続人は相続財産を限度とする責任を負うにとどまるから、寛が法律行為の相手方に対して負担している相続債務について、原告承継人らは、その固有の財産をもって履行する責任を負わないのであるが、本件物件は、無権代理人である寛を代襲して美代子を単純相続した結果取得したものであり、原告承継人らが相続以前から所有していた固有の財産に属するものではない。

したがって、原告承継人らが寛の相続に関して限定承認をしているという事実は、本件の法律関係に影響を及ぼさないというべきである。

6  本件においては、右のとおり、原告承継人らは、元々本件物件を所有していたものではないし、また寛と無関係に美代子を相続したものでもなく、たまたま寛が美代子より先に死亡したため、寛を代襲して美代子を相続した結果、本件物件を取得したものである。仮に、母親である美代子が息子でかつ無権代理人である寛よりも先に死亡していたとすれば、寛は、自らの無権代理行為につき追認を拒絶することは信義則上許されないと解され、また寛を相続した原告承継人らが寛からの相続につき限定承認をしたとしても、寛の相続人である原告承継人らにおいて寛が有している権利又は地位以上の権利又は地位を有することになるとは解せられないから、原告承継人らは、やはり、無権代理行為の追認を拒絶することは許されないと解せられる。

本件では、偶然にも、無権代理人である寛の死亡が本人である美代子のそれよりも先行したため、事案がいささか複雑な様相を呈しているが、基本的には、右の場合と何ら異なるところはないといわなければならない。

7  原告承継人らは、美代子が無権代理行為の相手方である被告らに対して本件訴訟を提起したことにより、無権代理行為につき追認を拒絶するとの意思を明らかにし、これにより無権代理行為は本人に対して何らの効力が生じないことが確定したから、これ以後は、もはや追認権を問題にすることはできなくなった旨主張する。

確かに、美代子は、原告として、昭和六二年七月六日、本件訴訟を提起し、寛が被告らとの間で締結した(根)抵当権設定及び賃借権設定が無権代理行為であるとして、被告らに対し、右抵当権設定登記等の抹消登記手続を求めたのであり、その時点において、寛がした行為につき追認をしないとの意思を明らかにしたと評価することができる。

しかし、追認を拒絶する意思を明らかにした後においても、本人が、場合により、改めて無権代理行為を追認することは可能であると解せられ、その意味で、追認権が全く消滅したということはできないというべきである。

そして、前記のとおり、原告承継人らは、追認拒絶を明らかにしていた美代子を相続したのみならず、無権代理人である寛を相続したという地位をも合わせ兼ねることになったのであるから、原告承継人らが、美代子の相続人としての立場だけでなく、寛の相続人でもある者として、追認を拒絶することができるか否かは、単に本人である美代子が追認を拒絶する旨の意思を明らかにしていたことのみで決せられるものではない。

そして、本件においては、原告承継人らは、美代子を相続したという地位にあるのみならず、寛の子として、その無権代理人としての地位をも承継したというのであるから、追認を拒絶することが信義則に反することになることは前述のとおりである。

したがって、原告承継人らの右主張は採用することができない。

8  以上によれば、原告承継人らは、無権代理人である寛の地位を承継したのであるから、その後本人である美代子を相続したとしても、信義則に照らし、本人の立場で無権代理行為の追認を拒絶することはできず、本人が自ら法律行為である契約締結行為をしたと同様の法律上の地位ないし効果を生じるものといわなければならない。

よって、被告らの右抗弁は理由がある。

七  したがって、原告承継人らの本訴請求はすべて理由がないことに帰着する。

第二  被告コミティの反訴請求について

1  反訴請求原因1の(一)(本訴請求原因の1、5及び6)の事実並びに同(二)のうち、本訴抗弁4の(一)記載の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  反訴請求原因1の(二)のうち、本訴抗弁4の(二)及び(三)記載の事実に対する判断は、本訴請求について述べたとおり、各契約を締結したとされる時期において、美代子は、意思能力を有していたとは認められないから、理由がないが、本訴抗弁4の(四)の(3)記載の事実については、本訴請求について述べたとおり、原告承継人らは、追認を拒絶することは信義則に反して許されないから、結局、右反訴請求原因は理由がある。

3  反訴請求原因2の事実については、原告承継人らは明らかに争わないから、これを自白したとみなす。

4  よって、被告コミティの反訴請求は、いずれも理由がある。

第三  結論

以上によれば、原告承継人らの被告らに対する請求はいずれも理由がないから棄却し、被告コミティの反訴請求は、いずれも理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。なお、主文第三項について、仮執行宣言は相当でないから、これを付さない。

(別紙)

物件目録

(一)神戸市中央区三宮町壱丁目六番弐弐

一、宅地 五弐・弐四 平方メートル

但し、阿部美代子持分(二分の一)

(二)同所六番弐参

一、宅地 六・四九 平方メートル

但し、阿部美代子持分(二分の一)

(三)(一棟の建物の表示)

神戸市中央区三宮町壱丁目六番地壱五・六番地壱弐・六番地壱参・六番地壱四・六番地壱六・六番地壱七・六番地壱八・六番地壱九・六番地弐〇・六番地弐壱・六番地弐弐・六番地弐参・六番地弐四・六番地弐五・六番地弐六・六番地弐七・六番地弐八

鉄筋コンクリート造陸屋根地下壱階付五階建

床面積 壱階 壱壱参七・四壱 平方メートル

弐階 壱壱参七・四壱 平方メートル

参階 壱壱参七・四壱 平方メートル

四階 壱壱参七・四壱 平方メートル

五階 六四・六〇 平方メートル

地下壱階 壱〇四四・四弐 平方メートル

(専有部分の建物の表示)

家屋番号 三宮町一丁目六番壱五の七

鉄筋コンクリート造壱階建店舗

床面積 壱階部分 五〇・弐七 平方メートル

(四)(一棟の建物の表示)

神戸市中央区三宮町壱丁目六番地壱五・六番地壱弐・六番地壱参・六番地壱四・六番地壱六・六番地壱七・六番地壱八・六番地壱九・六番地弐〇・六番地弐壱・六番地弐弐・六番地弐参・六番地弐四・六番地弐五・六番地弐六・六番地弐七・六番地弐八

鉄筋コンクリート造陸屋根地下壱階付五階建

床面積 壱階 壱壱参七・四壱 平方メートル

弐階 壱壱参七・四壱 平方メートル

参階 壱壱参七・四壱 平方メートル

四階 壱壱参七・四壱 平方メートル

五階 六四・六〇 平方メートル

地下壱階 壱〇四四・四弐 平方メートル

(専有部分の建物の表示)

家屋番号 三宮町一丁目六番壱五の八

鉄筋コンクリート造壱階建店舗

床面積 弐階部分 五五・参壱 平方メートル

登記目録

(一)

根抵当権設定登記

神戸地方法務局昭和六〇年壱月弐壱日受付第壱四弐〇号

原因 昭和六〇年壱月壱壱日設定

極度額 金参千五百万円

債権の範囲 保証委託取引

債務者 神戸市中央区三宮町壱丁目六番壱〇号

有限会社あざみ

根抵当権者 神戸市中央区浪花町六弐番地の壱

兵庫県信用保証協会

(二)

根抵当権設定登記

神戸地方法務局昭和六壱年弐月壱八日受付第五〇六〇号

原因 昭和六壱年弐月壱八日設定

極度額 金弐千万円

債権の範囲 銀行取引 手形債権 小切手債権

債務者 神戸市中央区三宮町壱丁目六番壱〇号

阿部美代子

根抵当権者 東京都千代田区内幸町壱丁目壱番五号

株式会社第一勧業銀行

(取扱店 三宮支店)

(三)

抵当権設定登記

神戸地方法務局昭和六壱年参月弐弐日受付第壱〇八壱八号

原因 昭和六壱年参月弐〇日

金銭消費貸借同日設定

債権額 金弐千万円

利息 年壱割五分

損害金 年参割

債務者 神戸市中央区三宮町壱丁目六番壱〇号

阿部寛

根抵当権者 神戸市中央区中山手通参丁目五番壱六号

楠博行

(四)

条件付賃借権設定仮登記

神戸地方法務局昭和六壱年参月弐弐日受付第壱〇八壱九号

原因 昭和六壱年参月弐〇日設定(条件 昭和六壱年参月弐〇日金銭消費貸借の債務不履行)

借賃 壱ケ月金参拾万円

支払期 毎月末日

存続期間 効力発生日より満五年

特約 譲渡・転貸ができる

権利者 神戸市中央区中山手通参丁目五番壱六号

楠博行

(五)

抵当権設定登記

神戸地方法務局昭和六〇年壱壱月弐九日受付第参弐七参〇号

原因 昭和六〇年壱壱月弐九日

金銭消費貸借同日設定

債権額 金七百万円

利息 年壱割五分

損害金 年参割

債務者 神戸市中央区三宮町壱丁目六番壱〇号

阿部寛

抵当権者 神戸市中央区中山手通参丁目五番壱六号

楠博行

(六)

根抵当権設定仮登記

神戸地方法務局昭和六壱年四月壱九日受付第壱七参参七号

原因 昭和六壱年四月壱九日設定

極度額 金参千万円

債権の範囲 商品売買取引 手形債権 小切手債権

債務者 神戸市中央区三宮町壱丁目六番壱〇号

有限会社あざみ

権利者 大阪市鶴見区今津中壱丁目壱番参八号

小林莫大小株式会社

(七)

根抵当権設定仮登記

神戸地方法務局昭和六壱年四月壱九日受付第壱七参参八号

原因 昭和六壱年四月壱九日設定

極度額 金参千万円

債権の範囲 商品売買取引 手形債権 小切手債権

債務者 神戸市中央区三宮町壱丁目六番壱〇号

有限会社あざみ

権利者 大阪市鶴見区今津中壱丁目壱番参八号

小林莫大小株式会社

(八)

根抵当権設定仮登記

神戸地方法務局昭和六壱年四月壱九日受付第壱七参参九号

原因 昭和六壱年四月壱九日設定

極度額 金参千万円

債権の範囲 商品売買取引 手形債権 小切手債権

債務者 神戸市中央区三宮町壱丁目六番壱〇号

有限会社あざみ

権利者 大阪市鶴見区今津中壱丁目壱番参八号

小林莫大小株式会社

(九)

条件付賃借権設定仮登記

神戸地方法務局昭和六壱年四月壱九日受付第壱七参四〇号

原因 昭和六壱年四月壱九日設定(条件 七番 根抵当権確定債権の債務不履行)

借賃 壱月金弐拾五万円

支払期 毎月末日

存続期間 参年

特約 譲渡・転貸ができる

権利者 大阪市鶴見区今津中壱丁目壱番参八号

小林莫大小株式会社

債権目録

<省略>

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